【渡部陽一】取材はほとんど英語。アラビア語も話せるトリリンガル
静岡県富士市出身の戦場カメラマン、フォトジャーナリスト、タレント。富士市の観光親善大使。
1972年9月1日生まれ 血液型A 身長180cm 話し方に特徴があり、よくモノマネされる。
日本語のほかに英語とアラビア語が話せる。
NHK Eテレ「テレビでアラビア語」に生徒役で出演。
テレビでアラビア語の番組内で、エジプト出身の講師のエバ・ハッサンさんと
同じくエジプト出身のネイティブゲストのオサマ・イブラヒムさんが話す日本語はとても流暢で、
渡部陽一さんが話す日本語より若干早く感じる。
アフリカや中東の取材で使う言葉について「僕は99パーセントは英語で話します。日本語、アラビア語でコミュニケーションを取る場合もありますが、ほとんどが英語ですね。必要に応じて、それを現地語に通訳してもらいます。」
「ゆっくりでも単語単語をつなげていくと相手が理解してくれます。特に英語が公用語になっていない地域の国々では僕と同じようなテンポで英語を話しますので、お互いリズムがかみ合い取材はしやすいですね。」と述べている。
「外国に行くようになり、言葉が通じない国で単語を正確にゆっくり伝えると理解してもらえる。」とも言っている。
高校時代はバドミントン部に所属。当時の部員を親友だと語る。
明治学院大学法学部法律学科卒業。
大学1年生の時、いまだ狩猟生活を送るピグミー族(ムブティ族)に会うためアフリカのザイール(現在のコンゴ民主共 和国)に旅行に行き、そこで経験したゲリラ事件(銃を持った子どもたちに襲撃され荷物を奪われるなど)がきっかけで戦場カメラマンとなり、学生時代から世界の紛争地域を専門に取材している。
ゲリラ事件について日本に帰って周囲に伝えたが誰にも信じてもらえなかったため、「記録を残せば、たくさんの方に状況を知ってもらうことができる」と考えたことが写真を仕事にしようと決意するきっかけになったと語っている。
「どの国の常識が正しいということはない」という考え方から、取材をするには常に相手に敬意を払うことがもっとも大切と言っている。
現場に立ち虐げられる方々の声をそのまま伝えることが、戦場ジャーナリストの責務だと感じている。
130以上の国と地域の紛争地域を取材している。
イスラム圏で取材を行うため、現地の慣習に合わせてヒゲを生やしている。
安全のために防弾チョッキを着用して取材を行っているが、銃弾を受けたことは1度もない。
「戦場報道とは生きて帰ること」と考えている。
「一眼レフで写真を撮る場合、ズームは最後の切り札として取っておき被写体に出来るだけ自分が近づく。そして自分の身体を三脚のように固定してシャッターを切る」ということが良い写真を撮るコツだと言っている。
【その他のエピソード】
・水周り関係(風呂・トイレ・キッチン)の掃除が好き。
・トム・クルーズが好きで、出演している映画はすべて観ている。
・好きな映画に水嶋ヒロ主演の『BECK』もあり、水嶋ヒロ・絢香夫婦を今後も応援すると言っている。
・好きなジャパニーズポップスは矢沢永吉の『SOMEBODY'S NIGHT』、SPEEDの『White Love』、西田ひかるの『ときめいて』、絢香の『三日月』など。
・映画「トップガン」が好きで英語学習のテキストにその映画が取り入れられたことから、主演のトム・クルーズのセリフを徹底的に覚え英語を習得した。
・戦地に取材に行くとき現地で食材を調達して食べる。昆虫の幼虫など、虫を食べる食文化の国では本人も現地の人と同じようにその幼虫を食べる。虫は好きな食べ物だと言っている。
・戦地で食べ物を調達しており、どの土地でも比較的容易に手に入るのがタマネギで、よく食べる。他の国の人たちより虫刺されが少ない場合がありタマネギの効果である可能性があるかもしれないといっている。
・浪人時代、B'zの曲を何度も聴いて気持ちを奮い立たせていた。
・子供の頃は魚博士になりたかった。
バラエティ番組、報道番組、ラジオ(ニッポン放送 渡部陽一 明日へ喝!)、CMなどの活動も続けながら、写真展、講演活動、書籍出版、戦場カメラマンとして活躍中。