【高倉健】英語が流暢。高校時代にESS部を創設した

「健さん」の愛称で親しまれた日本を代表する大俳優、歌手。福岡県出身。

 

1931年2月16日〜2014年11月10日午前3時49分(私生活をほとんど公にすることなく永眠)

 

最後のビッグスター、時代を背負ったスターと言われている。

 

血液型B 身長180cm 明治大学商学部卒業 英語が流暢に話せる。

 

 

 

「網走番外地」シリーズ、「日本侠客伝」シリーズ、「昭和残侠伝」、「燃える戦場」、「東京アンタッチャブル」、「恐怖の空中殺人」、「ザ・ヤクザ」、「新幹線大爆破」、「幸福の黄色いハンカチ」、「君よ憤怒の河を渉れ」、「海へ See you」、「遥かなる山の呼び声」、「動乱」、「駅 STATION」、「海峡」、「八甲田山」、「南極物語」、「夜叉」、「居酒屋兆治」、「あ・うん」、「ミスター・ベースボール」、「鉄道員(ぽっぽや)、「四十七人の刺客」」など、邦画史に残る大ヒット作に多数出演。

 

 

初期のヒット作ではヤクザ映画の看板スターだった。77年公開の「幸福の黄色いハンカチ」で殺人罪で服役した男を演じ、任侠映画からの転機となっている。

 

 

個人的に思い入れの大きい映画は「八甲田山。撮影でひどい目に遭って恨んでいるが、『映画ってこういうものなのか』と体感できた。あの作品に出演したから今の自分がある」と語っていたらしい。

 

 

松田優作の遺作となった映画「ブラックレイン」(アメリカ 1989年)ではマイケル・ダグラスと競演するなど、ハリウッドでも名を知られる俳優で、流暢な英語で演じている。当時、松田優作さんは「健さんが道をつけてくれたから、日本人の俳優というだけで尊敬される。」と語っていた。

 

 

 

 

1955年、知人の紹介で芸能プロダクションのマネジャーの面接を受けに行った喫茶店で、偶然そこにいた東映の専務にスカウトされ東映ニューフェイス第2期生として東映に入社。

 

1956年、「電光空手打ち」で主演デビュー。

 

1959年、「恐怖の空中殺人」で共演した歌手の江利チエミさんと結婚

 

1971年、江利チエミさんの親族にまつわるトラブルからチエミさんからの申し入れで離婚。その後再婚はせず。

 

1976年、東映を退社。その後人間ドラマやアクションなどが増える。

 

1978年、「幸福の黄色いハンカチ」で最初の日本アカデミー賞・最優秀主演男優賞受賞。(合計4回受賞)

 

1979年、「君よ憤怒の河を渉れ」は中国の大規模な政治運動である文化大革命(1966〜1976)後はじめて中国で公開された日本映画で、のべ1億人が鑑賞したと言われている。

 

1998年、紫綬褒章受章。

 

1999年、「鉄道員(ぽっぽや)」でモントリオール世界映画祭最優秀男優賞受賞。

 

2005年、中国映画「単騎、千里を走る。」に出演し東京国際映画祭にも招待。

 

2006年には文化功労者受章。映画俳優の受章は初。

 

2012年、「あなたへ」が「単騎、千里を走る。」以来の主演作で富山刑務所の指導技官役を演じた。第36回モントリオール世界映画祭(カナダ)で特別賞を受賞。報知映画賞主演男優賞受賞。共演者はビートたけし、佐藤浩市、田中裕子、綾瀬はるからで、大滝秀治さんと高倉健さんの遺作となった。

 

2013年11月3日、文化勲章受章親授式に出席。「日本人に生まれて本当に良かった」一生懸命やっていると見ていてもらえるんだと思いました」とコメント。式終了後の記者会見が最後の公の場となった。

 

2014年11月10日、悪性リンパ腫療養中に様態が急変し83歳の命を全う。次回作「風に吹かれて」の準備中だった。近親者にて密葬を執り行ってから18日に公表(「『鉄道員』の主人公のようにひっそりと死にたい」という健さん本人の意向)。中国誌の人民中国の王衆一総編集長が「戦後日本に対する中国人の理解を深め、対日感情を劇的に改善させた極めて重要な人物」と公式にコメント。英ロイター通信は「日本のタフガイ俳優、83歳で死去」「日本のクリント・イーストウッド」「『ブラックレイン』で国際的な評価を得た」、米AP通信は「多くのストイックなヒーローを演じたことで有名だった」と報道。

 

2014年11月19日、東映が映画館の前などに設置した4箇所の献花台に、ファンや関係者がわずか1日でおよそ4200人が訪れた。

 

2015年6月14日、中国・上海で開催中の第18回上海国際映画祭で高倉健さんをしのぶトリビュート上映会が行われ、会場の1000席が満席となった。中国の映画祭で日本人の特集上映は初めて。

 

2015年8月10日、JR北海道は、1981年公開の映画「駅 STATION」のロケ地となった増毛駅を含む留萌-増毛間を2016年度中に廃止するることを発表。経営悪化で利用客が少なく、不採算路線であるため。

 

2015年11月2日〜11日、NHK BSプレミアムが没後1年関連番組として主演映画6本を放送。同じ人が出演する映画6本を短期間に一気に放送するのは異例。

 

 

 

【エピソード】
・本名は小田剛一(おだごういち)。兄と妹2人の4人兄妹。少年時代は病弱だった。

 

・中学一年生のときに密航しようとしたことがあるらしい。

 

・58年間の俳優業で205本の映画に出演している。

 

・小学校では女子にも泣かされるほどのイジメられっ子だった。

 

・中学生になってからもイジメられ、やがて克服するために合気道を始めた。

 

・終戦を迎えた中学生の時にアメリカ文化に触れ、ボクシングと英語に興味を持ち、東筑高校時代にはESS部を創設して英語力を高めた。

 

・明治大学商学部在学中は相撲部のマネジャー。将来は貿易商になるつもりだった。

 

・離婚した江利チエミさんが1982年に亡くなられた後、命日の2月13日に毎年欠かさず墓参していた。人目につかないように早朝や夜に一人で行っていた。

 

・故勝新太郎さんの命日である6月21日に毎年欠かさず花と線香をお供えしていた。

 

・「俳優養成所では『邪魔になるから見学していて』と言われる落ちこぼれでした。」(本人談)

 

・「俳優養成所で『(俳優業に)向いていない』と言われた。」(本人談)

 

・プロ野球巨人の長嶋茂雄終身名誉監督とは20代の頃から親交があった。

 

・故丹波哲郎氏から催眠術を教わり周囲の人にかけてイタズラしていた(故丹波氏の証言)

 

・ラジオでビートたけしさんが「役者よりお笑い芸人の方が芝居が上手い。役者がお笑いをやってみろ」と発言したのを受け、俳優の田中邦衛さんを誘って漫才をやろうとしたがお互いに無口のためムリだと思いすぐに止めた。(ビートたけし談)

 

・中国でも年配層を中心に知名度・人気が高い。

 

・東映の後輩、梅宮辰夫さんとはスキー仲間。

 

・毎日散髪しているという噂があるが、真相は定かではない。

 

・代表作「幸福の黄色いハンカチ」のロケ地を復元した北海道夕張市の観光施設は今でも営業している。(冬季は閉館)

 

・映画「昭和残侠伝シリーズ」などで共演した歌手北島三郎さんのお母さんが亡くなられた1983年以降、毎年命日が近づいた頃に線香を送っていた。

 

・自分の墓地を神奈川県鎌倉市と福岡県中間市の2箇所に用意していたらしい。

 

・「自分は不器用ですから」などの名セリフや寡黙なイメージが強いが「本当はよくしゃべる。話すと面白い人」「明るく愉快な人」とタレントのタモリさんや高校時代の同級生らが言っている。

 

・(ファンに対して)握手しない、サインしない、写真を撮らせない、で有名だったといわれている。

 

・漫画「ゴルゴ13」の主人公デューク東郷のモデルで実写版映画にも出演。

 

・東映時代からの盟友である降旗康男監督の「居酒屋兆治」の企画が進んでいたため黒澤明監督の「乱」のオファーを断った。

 

・フランス映画やイラン映画など海外の作品への出演にも意欲的だったといわれているが実現しなかった。

 

・俳優の千葉真一さんが、デビューしたばかりの頃、学生服以外の服があまりなかったため、高倉健さんが一度か二度ほどしか袖を通していない新しいスーツをいくつもあげていた。(千葉真一さんは日本体育大学の学生で、体操選手としてオリンピック出場を目指していたが、跳馬の練習中に負ったケガのため断念。大学を中退して芸能界入り。2013年3月10日、日体大の卒業式で特別卒業認定証授与。57年かけて74歳で卒業。)

 

東京アメリカンクラブのメンバーで、外国人の友人・知人が多い。

 

・命日の11月10日は森繁久弥さん(2009年 96歳)、森光子さん(2012年 92歳)が亡くなった日でもあり、4人しか贈られていない文化勲章受章者が3人亡くなっている。

 

・江戸後期の歌人の小田宅子さんは高倉健さんのご先祖。

 

・2014年11月10日に亡くなったが、降旗康男監督と2015年3月から新作「風に吹かれて」を撮る予定だった。

 

 

 

【名言】
・「拍手されるより拍手する方がずっと心が豊かになれる。」

 

・「死んでもらいます」
大ヒットした「昭和残侠伝」シリーズの決めゼリフ。映画館では観客がこのセリフの場面で「異議なーし」と叫ぶほど共感を呼んだ。

 

・「自分は不器用ですから」
1984年、日本生命のCMのセリフ。代名詞となった。

 

・「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」
天台宗・比叡山延暦寺の大阿闍梨、酒井雄哉氏から贈られたもので座右の銘にしていた。

 

・「お前は駆逐艦みたいでいいな。空母はつらいぞ。ジッと待っていなくちゃならない」
武田鉄矢脚本・主演の「刑事物語」に特別出演した際に武田さんに言った。

 

 

 

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