【中田英寿(サッカー)】日本酒セラー開発プロジェクトを開始することを発表。世界100カ国以上を訪問。イタリア語や英語のほか数ヵ国語話せる

【中田英寿(サッカー)】日本酒セラー開発プロジェクトを開始することを発表。世界100カ国以上を訪問。イタリア語や英語のほか数ヵ国語話せる

【中田英寿(サッカー)】イタリア語や英語のほか数ヵ国語話せる

山梨県出身の元プロサッカー選手。

 

1977年1月22日生まれ

 

イタリア語、英語が流暢に話せるだけでなく、スペイン語、ポルトガル語、フランス語でも会話できるマルチリンガル

 

 

高校時代は主要5教科の成績が良かった(学年全体で上位)うえ、イタリア語も学んでいた。通学電車内ではイタリア語の本を読んでいたという目撃談もある。ベルマーレからイタリア セリエAペルージャに移籍して2か月後には通訳なしで会話が出来るようになっていた。

 

本田圭佑との対談でロシア語を披露し本田を驚かせたこともある。

 

 

現役時代のポジションはMF。
山梨県甲府市出身。山梨県立韮崎高校卒業。
FIFA親善大使。株式会社東ハト執行役員。
一般財団法人「TAKE ACTION FOUNDATION」代表理事。

 

U-17世界選手権(U-17W杯)、ワールドユース(U-20W杯)、U-23オリンピック、コンフェデレーションズカップ、W杯の主要世界大会全てでゴールした唯一の日本人選手。(2012年現在)

 

 

 

8歳の時、「キャプテン翼」の影響でサッカーを始め、中学3年生のとき、U-15(15歳以下日本代表)に選ばれる。

 

1994年1月、2年生で 全国高等学校サッカー選手権大会出場、2回戦敗退。
1994年12月、Jリーグの全12チーム中11チームからオファー。ベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)と仮契約。

 

1995年2月、高校3年生の時、東京ドームカップ・対ジュニオール戦で途中出場しプロデビュー。
1995年3月、XEROX SUPER CUP・ヴェルディ川崎戦(国立競技場)で公式戦デビュー。同月、リーグ戦デビュー。

 

1996年、アトランタオリンピックに最年少で選出され出場。

 

1996年シーズンオフ、イタリア・セリエAの名門ユベントスへ短期留学

 

1997年、Jリーグベストイレブン受賞。AFC年間最優秀選手賞。

 

1998年、フランスワールドカップ出場後イタリアセリエAの.ペルージャに移籍。AFC年間最優秀選手賞

 

1999-2000シーズン途中、A.S.ローマへ移籍し、翌年スクデットを獲得(セリエA 優勝)。

 

2000年、シドニーオリンピック出場。(自身二度目の五輪出場)

 

2001年からパルマに所属。

 

2002年、日韓ワールドカップ出場。

 

2004年1月、ボローニャに移籍。7月にフィオレンティーナに移籍。

 

2005年8月、イングランド・プレミアリーグのボルトン・ワンダラーズに移籍。

 

2006年、ドイツワールドカップ出場。
グループリーグ2試合目のクロアチア戦(0-0で引き分け)で、その試合で最も活躍した選手を指すマン・オブ・ザ・マッチに選出。
6月22日のブラジル戦(W杯最終戦)を最後に現役を引退。
予選敗退チームのベストイレブン選出。

 

2008年、「なにかできること、ひとつ。」を目的とした「TAKE ACTION!2008 +1」キャンペーン」を立ち上げ。

 

2011年、東日本大震災の復興支援チャリティマッチをシンガポールとタイで実施。

 

2012年10月までに、国内40件以上を訪問し伝統的技術などを体験している。また、世界100カ国以上を訪問している。

 

 

 

2014年9月、世界サッカー界のレジェンドに贈られる賞「GOLDEN FOOT AWARD 2014」(通称レジェンド賞。過去マラドーナ、ジーコ、ペレ、ジダンらが受賞)をアジア人で初めて受賞。授賞式は10月10日、モナコ。

 

2014年10月20日にエムティーアイがリリースした日本酒情報検索iPhone版アプリ『Sakenomy』の監修をした。エムティーアイは2020年の東京オリンピックまでに多言語対応バージョンをリリース予定。

 

 

2014年11月12日、女優の柴咲コウさんとの交際が報じられた。3月にパリで開催されたルイ・ヴィトンのファッションショーに2人で出席し、「特別な女性」と紹介していた。京都や大阪でデートすることが多いらしく、ブラジルワールドカップも一緒に観戦していた。

 

2014年11月25日、ゴルフウェアブランド「DESCENTE GOLF」アンバサダー就任式に出席し「(本格的にゴルフに挑戦することになり)目標はないけど始めるんだったら中途半端にやっても仕方ない。何のスポーツをするにしてもプロに勝てる可能性を持てるところまでいかないと」とコメント。

 

2015年1月17日、阪神淡路大震災20年チャリティーマッチ(KOBE DREAMS vs. JAPAN STARS)にJAPAN STARSの主将として出場。

 

2015年12月23日、松田直樹さん追悼試合に出場。インタビューで澤穂希選手の引退について、「彼女がやってきたことは、誰にもできないこと。どこを目指すか分からないが、彼女の影響は大きい。ゆっくり考えてやりたいこと見つけてやっていけばと思う。僕が言う立場ではない」とコメント。

 

2016年1月11日、FIFAバロンドールの表彰式がスイスのチューリヒで行われ、最優秀ゴール賞の「プスカシュ賞」の発表をした。

 

2016年1月14日、世界初となる日本酒セラー開発プロジェクトを開始することを発表。

 

 

 

【中田英寿名言】
「僕にとって楽しいことは楽なことじゃない」

 

「わがままであるためには、一生懸命やって責任を持つ」

 

 

 

 

【実業家としての活動】
・中学時代の恩師が監督をしているクラブ「フォルトゥナSC」をサポートしている。

 

・2006年、ヴァンフォーレ甲府がJ1に昇格した際にはスポンサーを紹介した。

 

・J2に降格して資金的に苦しいベルマーレのスポンサーになった。

 

・2006年、2007年シーズンの2年間なでしこリーグのスポンサーを紹介している。

 

・「nakata.net cafe」を営業し、使用された家具のチャリティーオークションの収益で、Jリーグアカデミーへ全Jリーグクラブ分のミニゴールなどを寄贈している。

 

・菓子メーカー株式会社東ハトの非常勤執行役員CBOとして、キャラメルコーンやハーベストのパッケージを一新して売り上げを伸ばした。

 

・東ハトの社員啓発のために配布した共著の絵本「お菓子を仕事にできる幸福」が評判を呼び、一般向けにも刊行した。

 

・所属事務所のサニーサイドアップの大株主。

 

・日研総業株式会社と自身が立ち上げた日本文化再発見プロジェクト「ReVALUE NIPPON」がコラボレーションし「モノづくりニッポン e 仕事×ReVALUE NIPPON」を始動。日本のモノづくりの魅力を国内外に広く伝える。日本酒に精通しており、蔵元は2015年までの5年間で250以上訪問している。海外に日本酒を広める活動もしている。

 

その他、イベントやテレビCMにも多数出演中。

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