【本田圭佑(サッカー)】英語、ロシア語、イタリア語、オランダ語が話せる
大阪府摂津市出身のプロサッカー選手。
1986年6月13日生まれ 血液型AB 182cm 74kg
日本語のほかに英語とロシア語、イタリア語、オランダ語が話せるマルチリンガル。
(オランダリーグとロシアリーグでは主に英語でコミュニケーションをとっていた)
現日本代表。ポジションはMF、FW。利き足は左。
イタリア・セリアA・ACミラン所属。無回転FK(フリーキック)が有名。
レジリエンスが高いスポーツ選手としても有名。
子供の頃、何度かイジメにあっていたことを公表している。
チームメイトと直接会話することを重視しているため、オランダ1部リーグに所属していたときは英語、ロシアではロシア語を学んで直接コミュニケーションをとっていた。イタリアに移ってからは最初は英語を話していたが、3ヶ月ほどしてイタリア語の個人レッスンを周3〜4回ほどに増やし、急速に上達。
海外のメディアに対して通訳をつけず英語でインタビューに答えることがある。
元日本代表のザッケローニ監督とも英語とイタリア語で会話していた。
小学生の頃、摂津FCでサッカーを始める。
ガンバ大阪ジュニアユースに所属していたが、ガンバ大阪ユースに昇格できず石川県の星稜高校に進学。
当時のチームメイトは「足は速くないしテクニックもない。体力もないから何がある選手なんだろうと思っていた。」とコメントしている。
2005年、名古屋グランパスとプロ契約。
2008年1月、エールディビジ(オランダ1部リーグ)のVVVフェンローへ移籍。オランダ語で加入会見したその日に試合出場。その後レギュラーとなったが、チームはこの年に2部に降格。
2008年7月、星稜高校時代に知り合った女性と入籍。
2008年8月、北京オリンピックに出場するも3連敗で1次リーグ敗退。
2008〜9シーズン、キャプテン、フリーキッカーとなりリーグ優勝し1部復帰。2部リーグにおける年間最優秀選手賞(MVP)を受賞。
2009〜10シーズン途中(冬)、ロシア・プレミアリーグの強豪CSKAモスクワへ移籍。
2010年、ワールドカップ南アフリカ大会に出場。全4試合に降る出場。初戦のカメルーン戦で得点しマン・オブ・ザ・マッチに選出。第3戦のデンマーク戦で約37mのフリーキックで得点。1アシストもありマン・オブ・ザ・マッチに選出。決勝トーナメント初戦のパラグアイ戦で0-0の引き分け。PK戦で敗れるも、マン・オブ・ザ・マッチに選出。敗退チームから選出されるのは異例。
2010年10月、世界的なサッカー情報サイト「goal.com」が「アジア人最高のサッカー選手」という記事を掲載。
2011年1月、AFCアジアカップ2011に出場し優勝。全6試合中5試合に出場(いずれも降る出場)し、日本代表全9得点中6得点に絡み、最優秀選手(MVP)に選出。
2012年1月、イタリア・セリエAのラツィオからオファーを受けたが破談。
2012年5月、代表での背番号を18から4に変更。
2012年6月8日、FIFAワールドカップ・アジア4次予選・ヨルダン戦でハットトリックを達成。自身プロ初(高校時代以来)のハットトリックで、ワールドカップ予選における日本人選手のハットトリックは、97年フランス大会予選の三浦知良以来15年ぶり。
2012年10月、長男誕生。
2012年12月、子供を対象にした「本田圭佑サッカークリニック」というイベントで、夢を持つことの大切さなどを伝えた。子供からの「日本代表になって一番うれしかったことは」という質問に対し、「急にいろんな人が僕の言うことに聞く耳を持ってくれた。世間が変わった」「世界で活躍すれば世界でも意見が通る。今のモチベーションの一つ」と返答した。
2013年1月、イタリア・セリエAのACミラン、インテル・ミラノが今夏の獲得に向け準備をしていると、イタリアの複数のメディアが報じている。
2013年4月、CSKAモスクワのババエフGMが2013年夏の移籍を示唆。本田との契約が2014年1月までのため、冬では移籍金が発生しない。
2013年、ロシアリーグ優勝、ロシア杯優勝、ロシア紙が選ぶベスト11に選出。
2013年6月、インタビューで左足首痛について、「足首に関してはサッカーを続ける限り、完治することはない。」とコメント。
2013年6月4日、ワールドカップ最終予選・オーストラリア戦(さいたまスタジアム)で、後半終了間際のPKを決め、1-1の引き分けにし、2014ワールドカップ・ブラジル大会出場決定。試合直後のインタビューで、同月中に開催されるコンフェデレーションズカップ(ブラジルで開催)について、「いつも応援ありがとうございます。(コンフェデレーションズカップは)皆さんに期待されてないかもしれないけど優勝するつもりで戦うので応援よろしくお願いします。」とコメント。(この試合直後、東京・渋谷のスクランブル交差点が大混雑したが、『DJポリス』(後に警視総監賞が授与された)が「みなさんは日本代表の12人目の選手です。」「チームワークで駅へ」などと言い、見事に事態を収拾し話題となった。コンフェデレーションズカップは1次リーグ3戦全敗で敗退。)
2013年6月、ワールドカップブラジル大会への出場を決めた後、自身の移籍とレベルアップに関して「僕がビッグクラブに行けば計り知れない成長が待っている」とコメントしている。
2013年6月中旬以降、セリアAのACミランへの移籍が秒読み段階に入ったという内容の報道が相次いでいる。
2013年7月3日、ガゼッタ・デロ・スポルト紙(電子版)などのイタリア有力メディアが、4年契約・年俸約3億2500万円でACミラン入団内定と報道。『内定ではなく確定』と見ているイタリア人記者もいるらしい。
2013年12月11日、ACミランの公式サイトで本田獲得を発表。1月3日からの契約で背番号は10。「ACミランで背番号10」は小学校の卒業文集で記されていた。マンチェスターC、バルセロナ、エバートンも本田獲得のオファーを出していたことを代理人のブロンゼッティ氏が明かしている。
2014年1月8日、ミラノ市内で行われた入団会見はVIPだけが利用するホームスタジアムのエグゼクティブルームで行われた。この会場で入団会見が行われたのはロナウジーニョ、ベッカム、バロテッリに次いで4人目。アジア人初。会見は英語で返答。その後の衛星放送スカパー!の独占インタビューは日本に生中継され、バロンドールに関して「しっかりやるべきことをやれば夢ではない。」と答えている。
入団会見で「心の中のリトル本田がACミランでプレーしたいと言った。」と言ったことが話題になった。
2014年1月12日、敵地サッスオーロ戦で途中出場してリーグ戦デビュー。
2014年1月15日、コッパ・イタリア5回戦(リーグ戦ではなくカップ戦)でACミランの選手として公式戦初得点。
2014年3月18日、活躍できない本田を批判するイタリアメディアが増え、年俸270万ユーロ(約3億8千万円)というチーム7番目の高額年俸も批判の的となっている。
2014年4月5日、ガゼッタ・デロ・スポルト紙のインタビューで「近いうちにゴールが挙げられる」と自信を見せ、7日のアウェー・ジェノア戦でリーグ戦初ゴール。(リーグ戦12試合目。セリアAでゴールを決めたのは三浦知良(94ジェノア)、中田英寿(98ペルージャ)、名波浩(00ベネチア)、中村俊輔(02レジーナ)、小笠原満男(06メッシーナ)、森本貴幸(07カターニア)、長友佑都(11チェゼーナ)に続き8人目)
2014年6月、ワールドカップブラジル大会に出場(背番号4)。
15日の初戦コートジボワール戦(1-2で敗戦)で1得点。この得点はブラジルESPNが1次リーグ初戦16試合のベストゴールランキングで7位に選出。
20日の第2戦ギリシャ戦(0-0で引き分け)でサポーターの投票などで決まるバドワイザー・マン・オブ・ザ・マッチに選出されたとFIFAが公式ページで発表。
25日の第3戦コロンビア戦(4-1で敗戦)後、「当然ながら次(2018年W杯)を目指したい」とコメント。
27日、FIFA.com が「カストロール・インデックス」という分析システムに準じた選手ランキング(2014W杯全選手対象)を発表。この時点で本田が日本人最高の37位。
2014年8月31日、ホームで行われたセリエA開幕戦で3トップの右FWで先発出場し、前半7分に先制ゴール。
2014年10月19日、アウェーで行われたセリエAベローナ戦で移籍後初の1試合2得点。(日本人のセリエAでの1試合2得点は中田英寿、中村俊輔、森本貴幸に次いで4人目) 第7節終了時点で6得点。得点ランキングの首位。
2014年12月、長女誕生。
2015年1月18日、アジアカップ・パレスチナ戦後に審判批判をしたとしてアジアサッカー連盟(AFC)より罰金5000ドル(約58万8000円)が科された。
2015年1月21日、アジアカップの1次リーグベストイレブンに選出。
2015年1月23日、アジアカップ準々決勝まで全試合出場。PK戦1番手でシュートを外し、チームはベスト8で敗退。
2015年2月18日、自身が監修する「ソルティーロファミリアサッカースクール」が4月に福岡県と佐賀県に計6校を開校すると発表。2012年5月に発足したスクールで、小学生までを対象に関東と関西に計36校ある。
2015年11月17日、サッカーW杯アジア2次予選カンボジア戦で途中出場し得点。W杯予選5戦連続ゴールは1985年のW杯メキシコ大会予選で木村和司が記録した4試合連続を抜き日本記録。
2016年6月22日、国連傘下の国連財団からGlobal Advocate for Youthに任命され、アメリカの首都ワシントンで就任スピーチを行った。
日本代表では試合の2日ほど前から試合に集中するためコメントしなくなることが多いが、2012年9月11日のW杯アジア最終予選 日本対イラク戦の2日前、外国人記者からの質問に英語で答えている。
両腕に腕時計をするファッションが話題となり、日本人記者からの質問には「片方にしかしてはいけないという決まりはない」「バランスをとるため」などと答えていた。しかしロシアで同じ質問をされた時には「片方がロシア時間でもう片方が日本時間」と答えていたらしい。
「来年はどういう年にしたいか」という質問に対し、「これまでの人生で一番良い年にしたい」と毎年答えている。