【ダルビッシュ有(野球)】幼少期は英語しか話せなかった

大阪府羽曳野市出身のプロ野球選手。

 

1986年8月16日生まれ 血液型A

 

英語が話せる。

 

ポジションはピッチャー。身長196cm、体重98kg。

 

右投右打だがトレーニングで左で投球練習する。
左投げ時のフォームはしなやかで、
球速は140キロ近く変化球は右投げの時の球種がすべて投げられる。

 

2015年現在、1日7食、4回のプロテイン摂取をしている。
7回食事を摂らないと代謝が良すぎてどんどん痩せていってしまうため。

 

「ダルビッシュ」とはペルシャ語で「托鉢僧」という意味。

 

父親はイラン人(現在は日本国籍)のファルサさんで元サッカー選手。母親は日本人。

 

元妻はタレントの紗栄子。

 

弟のダルビッシュ賢太は俳優・タレントとして活躍中のKENTA。(有が長男でKENTAが三男)

 

 

 

幼稚園に通っている頃まで父親が日本語をあまり話せなかったため、家では英語を使っていたが、日本の小学校に通うため日本語中心の生活に変えていた。3才頃までは日本語は全く理解できず英語しか話せなかった。

 

 

幼少期はハーフであることを理由にイジメられた経験もあり、引っ込み思案だった。

 

「何かと色メガネ的な見方をされていたのは事実」「お前は日本人じゃない。何かが入っていると否定され続けた」

 

 

 

小学校時代にオール羽曳野ボーイズという少年野球チームに所属。山田監督がダルビッシュの父であるファルサさんをコーチにしていた。

 

高校は宮城県の名門・東北高校で2年生のとき夏の甲子園で準優勝。

 

2004年のドラフトで日本ハムから1位指名を受け、プロ野球選手となった。

 

2007年は最多奪三振、沢村賞、ゴールデングラブ賞、ベストナイン、MVP。

 

2009年にはWBCの日本代表として大会連覇に貢献。

 

2011年12月にポスティングシステム(入札制度)でのメジャー挑戦を表明し、テキサス・レンジャーズと6年総額6000万ドル(約46億円)で契約。

 

メジャー移籍直後からある程度英語の聞き取りができたため、シーズン前からチームメイトと通訳なしで談笑するなど、あまり不自由なく英語圏での生活に順応している。

 

メジャー1年目となる2012年シーズンは16勝9敗0S、防御率3.90 奪三振221。

 

10月5日、アーリントンでのア・リーグワイルドカードゲームのオリオールズ戦に先発し、6回2/3を投げ3失点で敗戦投手となり、2012年シーズンを終了した。

 

2013年シーズン前のアリゾナキャンプではレンジャーズ・ワシントン監督から「英語がとても上達した。」とコメントしている。

 

2013年シーズンの最初の登板(4/3 対アストロズ)で9回2死までパーフェクトピッチング。日本人初の完全試合達成が期待されたが27人目の打者にセンター前ヒットを打たれ大記録を逃した。8回2/3を投げ、投球数111球、14奪三振(自己最多)という完璧なピッチングで初勝利(7-0)を手にした。あと一人で完全試合を逃した投手はメジャー史上11人目(完全試合達成は23人)。「別に完全試合を達成してもチームが3勝とか5勝になるわけではない。完全試合が達成できなかったが別に構わない。」と語っている。

 

 

2013年9月4日、野茂英雄氏が持つメジャーリーグでの日本人投手奪三振新記録(236奪三振 1995年 ドジャース)を更新。

 

2013年9月30日、レギュラーシーズンを終え32試合に登板し13勝9敗、防御率2.83、奪三振は両リーグトップの277で、野茂英雄氏以来の日本人奪三振王。(野茂英雄氏は1995年ドジャーズで236、2001年レッドソックスで220で奪三振王のタイトルを獲得)。被打率.194はア・リーグトップ。サイ・ヤング賞最終候補に挙がったが2位だった。

 

 

2013年11月11日午前11時11分、記念館「スペース11 ダルビッシュミュージアム」が神戸市内に開館。神戸市在住の父 ファルサさんがオーナー。ダルビッシュ投手が小学生時代に使用したグラブなどが年代別に展示されている。

 

2014年3月31日の開幕戦に先発予定だったが、寝違えによる首の張りのため回避。野茂英雄、松坂大輔、黒田博樹に続く4人目のメジャー開幕投手は実現せず。

 

2014年4月6日、今シーズン初登板で勝利。この試合でメジャー最速での奪500三振を記録。(ケリー・ウッド投手が2001年に記録した404回2/3を上回る401回2/3で達成) サイ・ヤング賞最有力候補といわれている。

 

 

2014年5月10日、レッドソックス戦でノーヒットノーランまであと一人というところでヒットを許し降板。試合は勝利し今季3勝目をあげた。

 

2014年7月28日、10勝目を挙げメジャーデビューから3年連続2桁勝利(野茂英雄氏以来の快挙)

 

2014年8月13日、右肘の炎症で故障者リストに入り復帰することなくシーズン終了。

 

2014年11月18日、ツイッターで女子レスリングの山本聖子さん(現アメリカ代表専属コーチ)と交際していることを宣言。

 

2014年12月3日、全米野球記者協会に所属する地元記者の投票でチーム最優秀投手に2年連続で選出。

 

2015年2月22日、交際中の女子レスリング山本聖子さんが妊娠したことを自身の公式ブログで発表。入籍は未定。

 

2015年3月1日、地元報道陣のみの取材に日本語ではなく英語での質疑応答に切り替え話題に。英語で受け答えをするのはメジャー4年目で初。本人も更なる英語習得に意欲的。

 

2015年3月10日、右肘内側側副靱帯の部分断裂のため右ひじの手術を決断と報道。手術の成功率は90%以上、リハビリを終え実戦復帰までの期間は12〜15ヵ月。来シーズン中のメジャー復帰を目指す。

 

2015年3月17日、右肘じん帯の再建手術(通称トミー・ジョン手術)を受け成功。右前腕の腱を右肘に移植した。術後の回復が驚異的な速さで周囲から驚かれている。左手を使うことが多くなり、一か月ほどで箸を使ったり文字を書くことも不自由なくできるようになった。

 

2015年7月30日、交際中の山本聖子さんが男児を出産。ツイッターで「アメリカ時間29日午後に元気な男の子の赤ちゃんが産まれました。母子ともに健康です」と発表。

 

 

 

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