【野口英世】語学の天才。すべて独学で英語をはじめ8ヵ国の外国語で読み書きと会話が自在にできるようになった
1876年(明治9年)11月9日〜1928年(昭和3年)5月21日
福島県出身の細菌学者。
黄熱病や梅毒等の研究で知られる。
ロックフェラー医学研究所研究員だった。当時は未開だったアメリカの医学界の地位を引き上げた。
ノーベル生理学・医学賞の候補に3回(1914年、1915年、1920年)名前が上がっている。
お金に関してはルーズで浪費癖があった。
語学の天才で、英語、中国語、ドイツ語、フランス語、デンマーク語、スペイン語、ポルトガル語、オランダ語の8ヵ国の外国語を自由自在に使えたマルチリンガル。
ラテンアメリカの人々は現在でも野口を医学の指導者として尊敬している。黄熱病撲滅の功績や寝ずに研究する姿に加え、現地に行ったときにすでに現地の言葉が話せたから特に愛されたとも言われている。
1000円札に描かれている顔は、黄熱病の研究のためエクアドルに赴いたときの写真をもとにしている。
【エピソード】
・19歳の時、受験勉強中だったが近所に住む16歳の女学生に初恋をした。何度もラブレターを書いて女学生の家の格子戸の中に投げ入れていたが、回数が多すぎて女学校の校長から辞めるように注意された。
・受験ための上京前、初恋の女学生に報告しようと家を訪ねたとき、女学生は不在でお母さんが出てきた。尋ねる理由をうまく説明できず、プレゼントがあると言って頭蓋骨の標本を渡した。
・東京で医学を勉強している時、医者として必要な時計や服を買うと言って故郷の友達にお金を送ってもらっていたが、すべて夜の遊びで使い果たしていた。借金は踏み倒していた。
・出張先の中国から初恋の女学生にラブレターを送っていたが返事は貰えなかった。しかし、指輪を作り送っていた。
・「姪と結婚してくれたらアメリカへの渡航費を出す」という人が現れた時、すぐに婚約して渡航費300円(今の120万円くらいと言われている)を受け取ったが、その後15年間帰国せず、婚約が破談となった。
・渡航費として受け取ったお金はすべて神奈川随一の料亭に芸者を呼んで、送別会を開き使い果たした。渡航費は恩師が奥さんの着物を処分するなどして高利貸しから借り、支払った。
・アメリカでの研究員時代の年収は、今の貨幣価値にするとおよそ4000万円ほどだったといわれるが、買いたいものを買い、夜も遊んでいたため借金をしていた。
・41歳の時にアメリカで腸チフスにかかり3ヵ月も入院したが、貯金がなかったため日本にいる恩師に5000円(今の2000万円くらいと言われている)を送ってもらった。治療費、入院費、お世話になった病院スタッフに贈り物をし、あまったお金で車と別荘を買った。
・学生時代に「ナポレオンは1日3時間しか寝なかった。だから俺も寝ない」と周囲に宣言し、本当に3時間しか寝なかった。研究員としてアメリカに渡った後もあまり寝ない生活をしていたので、現地の研究員からいつ眠っているのか不思議がられた。「日本人は2日に1回眠るだけ」という噂まで広がった。研究が一息ついた時に、研究室の傍らで服も着替えず目を閉じて短時間休むだけで、すぐに起きてまた研究を始めたと言われている。当時は「人間発電機」というあだ名をつけられていた。
・辞書で調べた言葉は一度ですべて記憶し、二度と同じ言葉を調べることがなかった。
・20歳の頃、日本にいながら英語、ドイツご、フランス語が完璧にできた。外国語を覚えるため、カトリックの教会に行き、そこにいる外国人に教わった。
・中国語とスペイン語は、現地に向かう船の中で、船員と会話して身に付けた。
・8か国もの外国語はすべて独学で身に付けた。