【森喜朗】失言が多く、英語での失敗談も有名
第85・86代内閣総理大臣。
1937年(昭和12年)7月14日生まれ
英語での失敗談の記事:クリントン大統領との会話
潔癖症で愛妻家。
好きな食べ物はしらす、アジの開き
マスコミに多くの問題発言を取り上げられている。
例)
「大阪人は金儲けばかり」
「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知をしていただく、そのために我々(神政連関係議員)ががんばってきた」(神の国発言)
「(沖縄サミットのことを)沖縄万博」と連呼
「(IT革命「アイティーかくめい」を)イット革命」
「一人も子供を作らない女性が将来税金で面倒見なさいというのは、本当におかしい」
「(ソチ五輪女子スケート浅田真央選手がSPで転倒したことについて)見事にひっくり返った。あの子、大事なときには必ず転ぶ」
子供の頃からラグビーに強い関心を持っており、名門である金沢二水高校でラグビー部に所属(中学にはラグビー部がなくバスケットボール部に所属)。北陸三県大会で準優勝を果たした。ラグビー部での活動が認められ早稲田大学第二商学部商学科にスポーツ推薦で入学。しかし体調不良を理由に入学からわずか4ヶ月で退部した。
1969年の第32回衆議院議員総選挙に旧石川1区から立候補し議員初当選。
ラグビーをしていたため体格が良く、福田赳夫総理と一緒に歩いていたときにSPだと間違われそうになったことがある。
1983年第2次中曽根内閣で文部大臣として初入閣。
2000年4月5日、3日前に脳梗塞で倒れ緊急入院した小渕恵三首相の後を継ぎ内閣総理大臣に就任。
2000年7月21〜23日、小渕恵三首相の遺志を継ぎ沖縄サミットを開催。
2000年10月30日、同年8月にシドニーオリンピック女子マラソンで優勝した高橋尚子に国民栄誉賞を授与。
2005年、団体球技の国内リーグ活性化を目指す日本トップリーグ連携機構の会長に就任。
2012年7月23日、第46回衆議院議員総選挙に出馬せず代議士引退。
2014年1月24日、東京五輪組織委員会発足。会長に就任。
2015年3月23日、肺がんの手術を受け、左の肺のがんを除去。
2015年5月、日本トップリーグ連携機構の会長を退任。後任は川淵三郎副会長が昇格。
2015年、日本ラグビー協会会長退任の意向。