【伊藤博文】英語力が高かったことと女好きで有名

初代内閣総理大臣。

 

天保12年9月2日〜明治42年10月26日(1841年10月16日〜1909年10月26日)

 

 

1963年〜1986年まで発行されていたお札(1000円)の表面の肖像画と透かしになっている。

 

 

 

1841年、百姓の長男として現在の山口県光市束荷字野尻に生まれる。

 

1863年、イギリスに渡航。
持っていったものは1862年に発行された『英和対訳袖珍辞書』という間違いだらけの辞書と
寝巻だけだったらしい。
この留学中に英語や礼儀作法の他、博物館や美術館、軍事施設、工場などを見学して学ぶ。

 

 

1885年、「これからの総理は赤電報(外国電報)が読めなくてはだめだ」という意見が強く、

 

誰よりも英語力が高かった伊藤博文が日本の初代内閣総理大臣となった。

 

 

 

1886年、創立委員長となり「女子教育奨励会創立委員会」を創設。

 

岩倉使節団で渡米のとき同じ船に載ったことから交流があった

 

女子教育者の津田梅子(後の津田塾大学の初代塾長)から英語指導を受けている。

 

 

 

1909年10月、ロシア帝国蔵相と満州・朝鮮問題について

 

非公式でて話し合うため訪れたハルビン駅(中華人民共和国黒竜江省にある駅)で

 

大韓帝国の民族運動家である安重根によって射殺(暗殺)。享年69。

 

 

【エピソード】
・女好き、芸者好きで有名で、40度の高熱があっても芸者二人をはべらせたという話もあるが、子孫は多くはない。

 

 

 

トップへ戻る