【クレオパトラ7世】語学に堪能で、多くの民族の言葉を自由に操った
紀元前69年〜紀元前30年
古代エジプト女王クレオパトラ7世。エジプト王朝最後のファラオ。
在位は紀元前51年〜紀元前30年。
語学に堪能で、公用語のギリシア語や、地元の言葉であるエジプト語の他にも、ラテン語、ヘブライ語、アラビア語、ペルシア語、エチオピア語など周辺の多くの民族の言葉を自由に操れた。
美女だったという説と違って、多くの学者たちにとって語学の才能に関しては異論はない。
クレオパトラの死の場面は有名で映画でも描かれている。
同名の女王が7名おり、その7世のことを指す。
絶世の美女ということで有名だが、異論もある。
世界の3大美女の一人と言われる。他の二人は楊貴妃とヘレネ。
日本ではなぜかヘレネの変わりに小野小町を世界3大美人に入れている
「人間は考える葦である。」の言葉で有名な哲学者パスカル(1623〜62)が、
「もしも、クレオパトラの鼻が1センチ(異説では3mm、もう少し、などがある)低かったら、
世界の歴史は変わっていただろう。」と言ったというのは有名な話だが、
これを単なるたとえ話と解釈し、「実際のクレオパトラは美女ではなく策略家であったため、
多くの男が手玉に取られた。」と考える学者も数多くいる。
外見はそれほどではなかったが、雰囲気や話し方、声が人をひきつけたとも言われている。
ギリシャの伝記作家プルタークは「クレオパトラはさほど美人ではなかったが、
口の利き方が弦楽器を鳴らすようにとても甘美なのでローマの英雄達が参ってしまった。」
と残しているが、クレオパトラの本当の容姿は明らかになっていない。
(彫刻などはクレオパトラではないと言われている)
クレオパトラの墓はまだ発見されていない。
結婚したカエサルと
100メートルもある宮殿のような王室用の船(船上には庭園、神殿、大食堂などがあった)で
ナイル川を10週間(数週間という説もある)もかけて下った(クルージングした)ことが
世界初の新婚旅行だといわれている。